雨は天より大地に降りて

 

昨日は早朝から土砂崩れ災害派遣で土方作業。

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なんか光ってるね。

ひと仕事終えてたらふく栄養補給できたなあ!なんつって喜んだりして(^^♪

しかしMy作農計画が追いついてないので、今朝は早朝から畑仕事。

雨が降り出したので家に帰る。

ちょいと裏山へ行ってみると、

「な~んだ、ウチの裏も土砂崩れやんか!」

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ってなことが判明して、午後からまた土方仕事。スコップ一丁で適当にあしらっといて、

(いやあ!こんなことしてる場合じゃないんだなあ・・・畑もやらないと追いつかないっつーの^^;)

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ほんとは土嚢を並べておくのが上等なんでしょうが、今はそんな余裕はない。すずらんも「ほぉー、ようやった」とほめてくれてるようだからとりあえずこれでええねん。

 

こうやって何だか知らないが大忙しのめ~にちで、金にならない忙しさ、っていうやつは、これ島暮らし始まって以来ずーっと今もってあるんだなあ。

もうそろそろ転換期でしょう。

しかし、そんな島暮らしはお金では学べない大いなる学びもかなり多く、

それがただそれこそがこの島暮らしの大きな得、醍醐味であったのです。

本来無一物無為自然という大きな山の頂に

一歩一歩でも近づけることはお金にも何にも代えがたい

中途半端な幸せよりずーっと喜ばしいエクスタシーでしょう。

「彼を去りて此れを取る」というやつである。

 

地球上に生きる以上、肉体は大地に生まれ大地に生き大地に還るのは自然の道理。

母なる大地、土と戯れる機会をもっと大事にありがたく思えたら天に飛翔するほどの魂の高揚感を味わえるってものである。

 

 

幸福の旅立ち

とうとう2匹の子ヤギの出荷・・・いや、もとい!出立の日が来ました。

 

行く先は、井原市芳井町です。

芳井のM氏がいろんな構想を胸にちゃんと子ヤギ達の名前も考えネームプレートまで作って引き取りに来られました。

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「こう」と「ふく」で「幸福」ってわけです^^

 

芳井はすでに地域おこし協力隊員ワッキーのところでメスの子ヤギを飼っているので、

ヤギ仲間が増えて耕作放棄地もきれいになり地域の話題にもなり何かしら活性化の足掛かりになるんでありましょう。

おじいちゃんおばあちゃん子供たちにかわいがられて幸福なヤギ生?を完うすることでしょう^^

 

芳井町といえば、我がお父上の生まれ故郷でもありまして、不思議な縁を感じますなあ。

 

最後にたーんとおっぱいを吸わせてやって、母子のお別れであります。

4月8日に産まれて56日。もう乳離れの時でもあります。

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子ヤギの方は2匹なので車に乗ってしまえば鳴くことはないですが、

すずらんの方は2匹とも子ヤギがいなくなってしまって(というか、たぶん一匹だけ取り残されてしまって)情けない声で悲しそうに鳴いている^^;

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しかし、子ヤギ達を乗せた車が行ってしまうとすっかり鳴き止んで黙々と草を食む。

4歳にもなって子育て経験も達者になるとある種の諦観を得るようである。

 

一応寂しいだろうと思って、フジイくんを山から下ろしてくる。

久々の再会である。

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が、別に感動の対面ということもなく、すずらんの方はとりあえず鳴いているが、

フジイくんときたら、ここでもやはり鳴かない!

ちょっとだけすずらんの声に応えようとしたのか、

「ムウ~」

と軽いうめき声のようなものを発しただけである。

う~ん、男らしい!・・・ヤギであることを忘れてしまっているのか?!

 

山ん中で一匹でひたすら開墾?に明け暮れていれば、鳴くことも忘れ、しまいにはヤギであることをも忘れてしまうのか?!

 

そのフジイくんの開墾業績は目を見張るものがあります!

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そしてこのフジイくんの開墾地の上の方からの景色ときたら、またなんとも麗しく時空を超えてしまうかのような景色が拝めるのです。

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その昔北木島の山のほとんどが畑だった頃、というのはとてもロマンティックな場所だったろうなあ、と思う・・・しかし、そんな当時はみんな働きづめに働いていたろうから、あんまりロマンティックでもなかったかもなあ・・・

これからの時代はロマンティックにできるかもしれんなあ・・・

 

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稲の成長も順調です(^^♪

 

 

 

 

 

Deep underground paradise への道

北木島がピースアイランドである所以のひとつをご紹介しましょう。

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このような高尚な読み物を月間購読されている方が存在しており、

それを私に貸してくださる、ということであります。


人間学を学ぶ月刊誌「致知」。


毎月意義深いテーマに則して現代日本の第一線で生きる賢者の皆さんの対談やら随筆が満載の読み物です。

今回4月号、6月号をお借りして、

毎回感動を禁じ得ないで、

爪の垢でも煎じて飲ませていただきたいくらい立派な方々がいるんだなあと改めて教えていただき、身の引き締まる思いがするわけであります。


今回お借りした中でとても感じ入ったお話しがあったので、

もうやむにやまれずブログに書いてしまっちゃうわけです。


武家の祖母から学んだ人生訓」と題して、

水戸徳川家の流れを汲む松平家の末梢「松平洋史子」さんと米沢藩士の末梢「石川真理子」さんとの対談。お2人とも厳格で寛容で不動心の武家の祖母から高度な人間学を学んだ方です。


松平さんなどは、「本当は人様の前でこういうお話をするのは禁じられているんです。松平家の美学なのね。」とおっしゃり、

祖母、母と時代の流れで時代の要求もあってか、次第にこういうお話を本に書いたりするようになった、と言う。


このお2人の対談の内容がすさまじく美しく気高く凛々しく、「武士道」のなんたるかを女性目線で語られているところが実に感じ入るわけであります。


21世紀は女性の時代!その女性の見本が世界で最も歴史ある日本において、地球上で最高レベルクラスに洗練され華開いていた、という事実がここに明かされている!といっても過言ではないでしょう。


現時点で残念なことは、こんなに素晴らしい教育が特に戦後から全くどこでも誰によってもほとんどなされていない、という事実です。


もうそろそろ敗戦国日本、極悪非道の帝国日本という偏ったマイナスイメージで卑屈に自虐的であるのをやめにしなければいけない時代でしょう。

 

実は世界が真の世界平和をリードする「日本」を待ち望んでいます。


歴史の流れを奥深く精査すれば、光り輝く真実が浮かび上がってきます。


誰もそう感じない、なし崩し的にあたかも自然にそうなっているかのような洗脳教育ほど恐ろしいものはないです。


なぜそんなことが世にはびこったか!?


それはひとりひとりの自覚が足りない、

「平和ボケ」という言葉がありますが、

まさに飼い殺し、経済優先、物質優先で一番重要で大切な「人間とは何か?」「自分とは何か?」

という疑問、自問自答を起こさせない社会に仕組まれ仕込まれてしまったからでしょう。

 

石川真理子さんには「女子の武士道」などいくつか著書があるようです。

 

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昔の日本人はやはり立派だったと改めて思います。

それを古臭いと言うなら、なぜ自分はこの世に生まれて生きていられるのか?

じっくり考えなおした方がいいでしょう。

ただの知識とか口八丁手八丁、世渡り上手、目立ったもの勝ちみたいな人が地位を得るような時代にあっては、

心とか感性とか品格とか情緒などというものは、まったく過去の遺物のように見られるのかもしれません。


しかし、今の時代がまともな時代と言えるでしょうか?

 

だから、僕は時代に反逆してでも早死にしてでも己の信じる道を突き進む人でありたいし、そうなれなくてもそれを目標に少しでも近づきたい。

 

とにかく、

龍治さん素晴らしい本をありがとうございます!

 

Deep underground paradise ~未来に蒔く種~

人の数だけ天地がある。


様々な鳥の鳴き声しか聞こえない静かな畑でひとり野良仕事をしていると、

時代錯誤、あるいは隠遁生活、はたまた時代に反逆するアナーキー的爽快感・・・

みたいなものを感じると同時に、

天地に我1人というふつふつと湧く歓喜にも気づく。


「ホ~~ホケキョ♪」


ウグイスの声に耳を澄ませば、ウグイスらしからぬお座敷小唄のような音階が聞こえる。

よく聞けば気持ちよく畑仕事をしているおっさんのご機嫌な口笛であった。


こんなのどかな光景こそお金以上の価値がある。

 

一面の緑、青い海、青い空、満天の星、鳥の声、波の音、風の音、ヤギの声・・・


五感に触れるものすべてが自然であると、


人といふのは自然に人本来の野性を取り戻すようである。


おまけに定まった収入もないのに、

いざとなれば何かしら収入になる案件が降って湧いてくる、

というはなはだ現実離れしたメルヘンな境遇に至ると、


夢が幻想なのか、現実が幻想なのか・・・


という疑問など通り越して、


世の中の一喜一憂などすべて砂上の楼閣、蜃気楼のように見えてくる。


しまいにはあれこれ頭で考えることさえナンセンスに思えてくる。

 

結局人生は幻、同じ幻を生きるなら夢を現実に生きたほうがいいに決まってる。


という解答が導き出される。

 


島で今年になって借りた畑は全部合わせると一反半くらいはあるだろうか。

それらが5か所ほどに散在する。

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↑昨年に引き続き米(陸稲)を蒔いた。

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↑新たに借りた畑。米を蒔いた。

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↑新たに借りた畑。米を蒔いた。

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↑新たに借りた畑。ゴマを蒔いた。さつまいもも植える。

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↑新たに借りた畑。ササゲを植えた。ゴマを蒔いた。キビ、アワを蒔く予定。

 


ウチの畑も2か所合わせれば一反くらいはあるだろうから、

全部で2反半。


これらの畑の一部に昨年採れた米を種籾にして植えた。

うまく育てば昨年の約3倍(といっても3升ほど)は収穫できるはずである。

 

あれもこれもやりながらこれら散在する畑の世話もするのは、

正直大変ではあるが

今年は今までに増していろいろ作ってみたいという欲求がある。

そんなタイミングで畑を貸してくださる方が出てきた。


高齢で畑をやめる方が増えている。


人口が毎年30~40人減少し、高齢化率70歳以上という少子高齢過疎化の進む北木島で、

今後耕作放棄地は増える一方である。


荒れ地になるのは放っておけばすぐになる。

荒れ地を元の畑に戻すのは労力が余計に必要だ。


畑をやめるから代わりに使ってくれ、と言われればなるべくなんとかしたいと思う。

おいしい野菜がたくさん作られていた畑がただほったらかしの荒れ地になるのは見るに忍びない。


なんとかしたいが、1人ではやはり限界がある。

 

Deep underground paradiseの創造を目論む人は結構世の中にいると思う。

そのうちの1人でも2人でも北木島に来て

さびれゆく過疎の波の防波堤となり、

新次元への橋頭保を築こうという志を華やかに咲かせる舞台にしてもらえたら、

ここが宝島であることを世に示すことにもなるだろう。

 

 

Deep underground paradise ~島々の唄~

先日S島へ連れて行っていただいた際、凄いモノをいただいてしまいました!


乗れもしないシーカヤック!!

 

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・・・正確には一度乗ったがイマイチだった^^;要練習だす!


Cくんありがとうございます!!


そして、いつもいろいろとよくしてくださるSちゃんありがとうございます!


本当にかたじけなくもありがたく、素晴らしく美しい夕日を見ながら、


(感謝のしるしにS島の歌を作らなくっちゃ!)


と観じたものです。

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島はそれぞれの個性がありそれぞれの良さ、魅力があって


実にこれからの時代の鑑となり得る。


それぞれがある種の桃源郷を連想させる。


型にはまったような街にはない時空がここにはある。

 

 

 

そーいえば!「ゲストハウス白石」が白石島に近日OPENするそうです!

外国人や日本人の旅人がわんさか来ることでしょう(^^♪

命を運ぶ

濃密なゴールデンウィークでした。


ざっくり行くと、

5月3日 飛島運動会後の「北木唄っこ一座」(座長島のやさしい電器屋トンさん、ぬく

    だまさん、KUNI)でのライブ♪

5月5日 井原市芳井町の地域おこし協力隊員ワッキー氏の榮庵梅にぬくだまさんと

    訪問。地元の重鎮お2人と楽しくDeepな交流。

5月6日 ぬくだまさんと岡山の某NPO代表宅訪問。北木島ピースフェスティバルへの

    協力依頼など。

5月7日 笠岡へ戻り自然薯植え付けの手伝い。

5月8日 アースデイ岡山に平和の樹岡山メンバーとしてぬくだまさんと参加。

    フラッグセレモニーとピースパレードで演奏。


そして、本日午後ようやく北木島に戻ってきました、と!


長い外出なのでもちろんマサムネも同行であります。

ヤギは、・・・まあ、ウチのは基本半野生状態にてこのくらいの期間ならまず問題ないでしょう。


5月5日~9日まる4日間家を空けたというのは、

確かまだ島暮らし一年目のときの一回だけでした。

その時フジイくんはまだ若く野ざらし状態も生まれて初めてで、

そこらへんに生えているものを片っ端から食べた中で

おそらくツツジに当たったらしく、

4日ぶりに帰ったら顔中ゲロまみれってことがありました。

以来、長く家を空けても3日。それも今までに1回か2回程度。


まあそんなことはどうでもよく・・・

どうでもよくはないが、しかしそんなんでよくヤギ達も3年間元気に生きておるなあと感心するやら・・・

一応飼い主である私も負けずにたくましく生きねばならない!という気にもなるじゃあないですか。

 

このように濃密なスケジュールだったゴールデンウィークのどこをとりあげよっかな・・・

じゃあ、5月7日自然薯植え付けね^^


私の同級生であるMくんが、

自然薯を作る!」

と言うんで、とある田んぼ知ってる人は知ってる田んぼを借りまして

そこに150本か200本植えるってんで手伝ったわけです。

Mくんは去年名古屋の会社を辞めて笠岡に帰って農業でもやって暮らせないものかと

とりあえず自然薯に目を付けたってわけです。

去年実家の庭で20本くらい植えて多少失敗はあったが半分くらいは出来たというので、

今年からちゃんと畑を借りて多めに植えてみるってわけです。


自然薯作りは最初の植え付けにいろいろと手間がかかるということで、

助太刀したわけですが、とりあえず50本しか種芋が届いてないというんで50本だけ植えてあとはいつでも残りが植えれる準備と。

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Mくんは畑仕事は素人ということもあってか、50本も一日かかると思っていたらしく、

半日で終わってあとはゆっくり残りの種芋植え付け準備。

私が手伝う前に豪語していた「2人分働くでー!」の言葉は本当だった、と喜んでいました。

おかげで普段は食べれない寿司をごちになったものです^^

なあに、これはひとつのトリックでしてね、

まあ私も農業はまだまだど素人の域ですが、だいたい作業内容とか量でどれくらいの負担のものかはなんとなく分かるわけで、それに準じて「出来る」と思えば、「2人分働けるぜー!」といった大風呂敷も広げれるってわけです。

これが500本も1000本も手で植えるって言ったら、話は違う・・・はずです。


こうやって私の身近にまた1人資本主義経済社会の歯車から脱皮しようという人間が出てきたというのは、新緑が目に眩いように何かこうウキウキしてしまうわけで、

それは、今秋には自然薯のとろろごはんが腹いっぱい食べれる、という希望でもあるわけです。


振り返れば、このゴールデンウィーク中の出会いや内容は必ず近い将来大きな実りをもたらすだろう出来事ばかりでした。本当に凄い!だから、どうしようもなくありがたい!


夢はどこまでも大きく持とうよ!

 

「フジイくん」といふ生き物

フジイくんは今日も一匹である。

山の上の鬱蒼たるイバラをひたすら食らう。

開墾特攻隊長面目躍如の活躍である。


ヤギは大抵一匹では寂しがり、

人が行けば「メェ~」、立ち去ろうとすればさらに寂しそうに「メェ~」と鳴く。


フジイくんが「メェ~」と鳴くのを最後に聞いたのはいつだろう・・・


一週間ぶりくらいに様子を伺いに山に上がると、平然と仁王立ちのフジイくん。

その凛々しさと貫録に目を奪われる。仙人か獅子のような風貌。

一声も発さない。

さらにその仕事っぷりにほれぼれする。

「でかしたぞ、フジイくん!」

どうだ!と言わんばかりの堂々たるフジイくんに頼もしさを感じる。

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フジイくん入植前(4月8日)

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枝だけになったノバラをノコギリで叩き切っていく。

立ち去る時も一声も発さず、ひたすら食に没頭するフジイくん。

 

あれはヤギではなく、「フジイくん」という立派な生き物と化している。

 


フジイくんの子孫はおおらかに元気に育っている。

2匹仲良くじゃれ合い飛び跳ね走り回る。

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焼き鏝除角の跡も今のところ角が生えてくる気配はない。

もしかして、成功?!

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きっとたくましくおとなしい雄ヤギになるだろう。

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 下から強烈な視線を送りながら舌なめずりするマサムネが気になる。