島墾隊(とうこんたい)

3月23日にヨッシー吉川くんと島墾隊を結成。

 

一昨日、島墾隊(私とヨッシー吉川くん)で、バックリ山(225m)へ島墾隊2回目の踏査に行った。

目的は、4月9日(日)に一般参加募集して催行する第1回バックリ登山道整備&お花見トレッキングのために事前に、ある程度道と山頂を開墾しておくことだ。

チェーンソーとノコギリ(Silky Gunfighterがベストである!)を持って、8:00から登り始め、13:00頃下山。首尾は上々。予想以上の成果を収め、さらにバックリ山および北木島の魅力と可能性に触れたわけである。

山頂付近には山桜の木が「群生」までいかなくともかなり点在して生えている。

他の木や竹をきれいに伐って育ちやすい環境を作ってやればまだまだ自然繁殖していくであろう。

そうなれば、瀬戸の多島美も一望できる桜の名所になるはずである。

島墾隊はそこを目指して進みたい!

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バックリ山頂 ビフォー1

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バックリ山頂 アフター1

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ビフォー2

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アフター2



そしてまたその後、バックリ山についての新たな情報を思いも寄らぬ形で入手した。

 

昨日、畑仕事をしていると、乳母車を押しながら高齢のおばあちゃんが通りがかり、

「おー、ようがんばっとるなあ!・・・私ら若いころは山の上の方まで畑があってなあ、

モッコ担いで行きよったもんじゃ。バックリの上の方まであってな・・・バックリ山のてっぺんには戦時中は見張りによう上がりよったもんじゃ。」

と、聞きもしないのに滔々としゃべりだしたのである!

「バックリ山」が出てきたので、うお~?!と僕も喰いついて、

「頂上に見張り台があったんですか?!」

「おーそうよ、防空壕を掘ってな、その上に屋根のようなもんをこさえて、そこから出ては飛行機を見張って、電話で連絡しよったんじゃ。飛行機の識別の勉強をしたもんじゃ。男衆はみな出ていっとるけえ、女の私らがそういうことをせにゃならんかったんよ!」

「おお!それは大変だったでしょう!その見張りの防空壕はまだ残ってますかね?!」

「!んなもん!草が生えとって分かるもんかあ!!」

 

おばあちゃんは93歳だそうで、乳母車がないと歩けない状態ながら、家でじっとしていてもしょうがないので、健康のために乳母車を押して、

10年前に亡くなったというご主人のお墓参りに福厳寺まで歩いていくそうだ。

 

バックリ山の山頂に戦時中見張り台があったというのはいろんな人から聞き知っていたが、ここまで具体的な当時の様子をしかも実体験者に聞けたのは、

なんとこのタイミングで奇遇というか必然というか!

昔のバックリ山頂は360度景色が展望できたらしい。そして平らで結構広い。

 

これでまたバックリ山を開墾する楽しみが増えたわけである^^

もしかしたらその見張りのための防空壕の跡が発見できるかもしれない。これはひとつの史跡である。



おばあちゃんは最後に、

「あんたがここで畑をしょーるのを見たらな、私やいつも感謝するんで!ありがとうございます。」

と言って、寺の方へゆっくりと乳母車を頼りに歩いて行った。

涙が出そうなくらい嬉しかった。そして、まだまだがんばるぞー!というやる気もあふれてきた。

「人が育つ」「人を育てる」というのはこういうことかもしれない、とも思った。

 

進め!島墾隊!




Deep underground paradise ~神聖にして侵すべからざる内的時空~

誕生日ってこともあるし、久々にブログでも書こうかという気に少しだけなってしまったので・・・

 

書く前に久々に最後に書いた前回のブログ記事を読むと、
あれからたかだか4か月くらいの期間でしたが、それはそれは物凄い変化が私の島生活にあったもんだなあ、とやや感銘を受けているところです。

 

一番は、引っ越ししたこと。
約3年半暮らしたあの辺境の「島のSARAI」の古民家を引き払い、移った先は島の中で一番大きな集落の中。

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引っ越し後の元祖島のSARAIは閑散と廃墟のようになってしまい、(こんなところによく住んでたもんだ。)と思わずにいられないが、僕に貴重な経験をさせてくれたとてもありがたい場所。

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ヤギは相変わらずこの場所にいる。が、毎日ここまでえさやりとかに来ないといけない(今は草がないので)のは結構大変^^; ・・・でもここはなんだか安心できる。

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しかももう1匹!あの向こうに見える大きい砂浜のそばに新居がある。前の家、他の3匹のヤギはあの山の向こう側に!今やヤギの世話がメインの仕事みたいに^^;  なんとかしなきゃ!・・・しかし、ここも素晴らしい場所で気持ちがほっこり^^

 


集落の中だけど思いっきり目の前が海水浴場という絶妙なるロケーションの家であり、
そこは私が島でお世話になったNさんが借りていた3軒のうちの1軒で、ほとんどの物が揃った状態で引き渡してくださった!
さらに同時期に4軒ほど引っ越しする方の手伝いなどして、いろんなものをあふれるほどいただいた!

なもんで、すっかり文明開化状態で物には困らない実に豊かな生活となってしまったわけです(^^♪ 物だけ見たらお金持ちのお大尽ですわ^^;

 

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経済面では、昨年末頃は今までで最も最低にお金がない状態になって、本当に出稼ぎにでるか島を出るかしないとヤバイ!という状態でしたが、
引っ越しやらなにやらでバタバタ忙しくしているうちに
(あ~もうどうにでもなれー!俺の知ったことか!)
ってフリーダムなアナーキーな感じになって良く言えば泰然自若として、

3年半も島に住んでいながら全くやることのなかった釣りなんぞして食糧を備蓄しだした頃のことです。

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「笠岡に新しくカフェをオープンする方が石窯ピザを焼きに来てほしいと。」
というオファーをとある建築業者の方からいただいた。
その方は昨年5月頃だったか北木島のある家を解体に来ていて、その手伝いに私が一週間くらい行っていて、私が石窯ピザを焼いているのを知っていたし実際食べたこともあるので、そういうオファーが来たってわけです。

それでまたお給金もいただけるということで、これはもう渡りに船といいますか棚からぼたもちっていいますか、干天の慈雨でございますな!

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なにせお金がない状態の上に引っ越しをして石窯を解体してしまったので私の数少ない収入源のメインでもある石窯ピザが焼けない!という事態になっていたものですから、
本当に有難く助かったわけです!

 

しかし、石の上にも3年、瓢箪から駒、島生活で会得した石窯ピザのスキルがこんな形で役に立つとは!

 

とまあこんな具合に生活に奇跡的劇的ともいえる変化が起きていたというわけでございます。

 

で、相変わらず北木島の神様に引き留められて生かされているという私は本当に幸せ者であるなあと深く感謝を捧げている日々であります。

 

 

昨夜、宴の後バイクで家路を走っている時、峠の頂上から降りていると下に集落の灯りが見える。
ふと思った。
(俗に100万ドルの夜景ってのがあるが、こりゃ100円くらいの夜景だな^^;)


転じて空を見上げた途端、ハッとするほどの美しい満天の星空が広がった。

もう本当に星が降ってきそうなくらい近くに見える。

まさに宇宙の中にいることを感じる。


(な、なんと!美しい!!これは100万ドルどころじゃない金銭の価値なんて付けれるようなそんな野暮なもんじゃない!)

 

現代的金銭的価値はあまりないように思える所あるいは時こそ金銭では計れない無量の恩恵がそこに横たわっているのかもしれません。


思えば私が北木島に住むようになったいきさつは色々あるけれど、結局最終的に決断した理由は、
「星空がめちゃくちゃきれいだった。」
単純にこれだったわけですから。

 

家に着いて改めて家の前の砂浜でひとり夜空を見上げる。
美しい。美しすぎる。心が洗われる。この上なく贅沢な時間空間。

これこそが贅沢であり至福であります。

 

(そうだ!眼鏡を新調したからまたよく見えるんだな(^^♪)

 

そう、これも今年に入ってある仕事を頼まれてお給金をいただき、ようやく2年以上買うことができなかった眼鏡を作ることができたわけです。
眼鏡は前に住んでた家の裏山を開墾している時に無くしたり壊したりして3つあったのが全部無くなってたのです。
眼鏡を買う余裕なんかなかったからずっと買えず、だからといって今金銭的に余裕があるわけじゃないが、
最低ラインから少しお金が入ると人間随分金持ちになった気になるもので^^;
よく考えてみればやはり相変わらず経済的には厳しいはずなんだが・・・
気持ちに余裕ができたということでしょう。


ということで、お金で価値づけることのできない物事や経験に取り巻かれていると、
お金に対して気に病むとか執着するとかいうことが少なくなっていくようです。

 

そうすると尚更に星空が美しく有難く見えてくる。

 

そして僕はここに住んで良かったな、と安心する。

ありがとう、北木島

 

第2回北木島ピースフェスティバルを終えて(裏)

1か月ぶりくらいに畑に行きました。

なにせ9月に入ってからはピースフェスティバルの準備が佳境に入りそちらに全勢力をつぎ込んだため、畑はほったらかし・・・

しかし、ある程度まで育った植物はほったらかしでも実に元気よく繁茂してたりして、むしろある程度まで育ったらほったらかしで雑草と共存共栄させた方がよく育つんではないか!?と感じるほどで^^;

ま、それがいわゆる自然栽培というやつなんでしょう。

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ただ、収穫したササゲやらゴマの一部が忙しすぎてちゃんと天日干しできずダメにしてしまったものがいくらかあるので、それは非常に残念なことであります。

あと残念なのが、裏の畑のサツマイモがイノシシに全部喰われてしまったことです。

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北木島のイノシシは確実に増えています。早急に駆除しないとエライことになってしまいます。

行政の方でワナを仕掛けているらしいですが全然効果なしのようです。

海を渡って命がけで繁殖するような根性の座ったイノシシなら少々のワナくらいじゃ引っかからないのもうなづけます。

民家周辺に借りた畑のサツマイモはかろうじて今のところセーフなので、まだ救われています。

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今年の春ころからピースフェスティバルの準備を本格的に始めてそちらに注力する配分が、2割、3割・・・と増えていくに従い、思うように畑仕事もできなかったり準備の方も大変だしで、かなりフラストレーション感じていました。(もっと畑を開墾していろんなものを植えることができるのに・・・)と何度思ったことか^^;


実際第1回ピースフェスを終えて・・・じゃなくフェスの最中に「もう第2回はやりません!」と公衆の面前で宣言したほどだったにもかかわらず、自然の流れで第2回もやることになり、乗りかかった船は嫌でも意地でも漕がねばならぬ、という、それは僕にとっては非常に苦渋の選択であり、申し訳ないですが、

(やっぱりやめときゃよかった!)と何度思ったことか!


こういうことは、ピースフェスティバルが終わってから書く気になったら書こうと思ってましたので、

今更書くことでもないかもしれませんが、やはりこのずっとずーっとやり場のなかったダメージは何らかの形で消化しないことにはどうにもおさまりがつかないのでちょっと書かせていただきます。


そんなわけで、9月に入ってかその前くらいから私個人の生産活動というのはほぼ全くできてない。私生活というのもないようなもの・・・

そのため、いつものわずかながらの現金収入さえ得られていない。

ピースフェスティバルの収支は現段階で基本的にはほんの少しの赤字で済んでいますが、それもいろんな方々のご協力あってのことです。お金のためにやったことではありませんし、ピースフェスティバルのおかげでまたいろんな方々と交流できつながれたというのは素晴らしい財産だと思います!それはきっと誰よりも何よりも幸せなことかもしれません!


しかし、やはり準備期間中から終了後の清算片づけまで一環して振り返るなら、やはり釈然としないものがあります。


ピースというのは、やはり自分の日常生活が基本じゃないのか?経済面では思うように行かないこともありますが、それでも何かしら模索しながらその人なりに一生懸命やっていれば自分も納得するし、他人もある程度認めてくれるでしょう。そういった基盤があやふやな状態で、ピースフェスティバルもなにもあったもんじゃない、という気がずっとしていて、それが精神面でも得体のしれないモヤモヤ感になったりで・・・それはもうすでにピースじゃないよね?って感じです^^;

あるいはまた、いろんな方々ご負担やご迷惑をおかけしたことも事実です。

そんな状態でピースフェスティバルとか言ってる場合じゃないです^^;


ということで、私の今の心境は、今回第2回北木島ピースフェスティバルはそれなりに良い結果も出せたと思います。(そりゃあ、あれだけ労力をつぎ込んで何もなかったらホンマにどうしようもないですわね^^;)

しかし、第3回はもうああいった大きなイベントとしての形ではやりません。

第3回北木島ピースフェスティバルは言うならば、私個人的にいろんなことを試行錯誤して公私にわたる生活基盤を創るという活動をもってピースフェスティバルにしたいな、と思っています。

やはり「愛と平和の北木島」に本当にしたいなら1個人個人の生活を愛と平和にしなきゃ、それは

嘘です。

一から出直しな感じでありますが、多彩な経験をさせていただいた3年半経っての「一から」なので新たなステージということにもなるかもしれないですね。

実際は(何もしたくない)という自暴自棄的気持ちが心をよぎったりもしますが、それでは生きていけないので、前を向いて小さな一歩でもよちよち歩きでも進むより他ないじゃないですか!っていう感じです^^;

格好ええこと言うてもそれが本心かな。

ちゃんと生きていけるかなあ、くらいの勢いですな^^;


とにかく!ピースフェスティバルに関わってくださった方々には感謝しかありません!こんな拙いもののためにいろいろとご協力してくださったというのは、本当にかたじけなく恐縮して感謝のみです。


素朴につつましくひっそりと雑草のようにあるいはイノシシのようにたくましく生きてまいりたいと思っております


そしてまたいつか皆さんとお互い素朴で純真な笑顔でお会いしたいなと思います。

 

地球が真に平和であれ。

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第2回北木島ピースフェスティバルを終えて


Achico ピースフェスティバル 前夜祭 shoot by mojar

 

第2回北木島ピースフェスティバルおよび共催のピースフェスティバル岡山はたくさんのご協力者のおかげで無事終了いたしました。

ぬくだまプロジェクトで来日した韓国の子どもたちも無事韓国に帰国いたしました。


第1回からの経緯で肩書を頂戴した第2回北木島ピースフェスティバル実行委員長として、今回ピースフェスティバルに関わってくださった方々に心より感謝申し上げます。

まずはネット上で申し訳ありませんが、心底より感謝申し上げます。


ピースフェスティバル実行委員会メンバーとしてはぬくだまさん、MOJAO塚本さんということになりますが、島のやさしい電器屋トンさん(奥野電業)のように、PA(音響)関係やPRライブなどで大変お世話になり、その存在なくしてはピースフェスティバルなど開催できなかったという有難い人材が、その他にもその都度その都度必要なタイミングで現れて、我々を大いに助けてくださったがためになんとか紆余曲折しながらも完結することができました。

終わってみれば、大変だったけれどもただやらせていただいたという感じで、かたじけなくもありがたいのみであります。

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ご参加いただいた方々の大半から、素晴らしかった、楽しかった・・・というありがたい感想をいただき、確かに素晴らしいフェスティバルであったと、全体的印象において成功といっていいと思います。

 

しかし、実行委員の立場としては事が大掛かりだっただけに、また天候の影響もあり、多くの人にご無理やご迷惑をお掛けしたという反省点も多々あります。

忌憚なきご意見を真摯に受け止めて今後に生かせるよう努めてまいりたいと思います。


ピースフェスティバルの開催主旨は、ただ一つ世界の平和を真に祈るお祭りであり、それをこの北木島および岡山から発信するということだけです。

第1回もそうですが、今回ピースフェスティバルに参加された方々お一人お一人が地球の平和、世界の平和、自国の平和、地域の平和、家族の平和ということに大なり小なり思いをいたし、すべてはつながっているし、1人1人の思い次第で己の心の平安を創り出すことこそ世界平和の重要な第一歩であると思います。それに気づき行動する人が1人でも増えれば、それだけ世界は平和に近づく・・・。そのためのきっかけとなるピースフェスティバルでありたいわけです。


その主旨から外れれば、第3回はあり得ないしやる必要もない。

もし、必要とあらばまた天がやらせてくださるでしょう。その時は今回の反省点を大いに払拭すべく謙虚に慎ましくできる範囲のわずかなことをやらせていただきたいと思っております。

私個人としても沈思黙想して、今後の我が人生を創造展開していきます。

 

第2回北木島ピースフェスティバルは天と地とこれに関わる人たちの手で創られました。そして実に貴重な体験をさせていただきました。

そのすべてに改めて心より感謝申し上げます。

どうもありがとうございましたm(_ _)m


皆様の平安を心より愛を込めてお祈り申し上げます。

世界人類が平和でありますように

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水の地球(shab◎n)+火の舞(Achico) 水の舞(権 鮎美) 北木島ピースフェスティバル


トルネードボンバー 北木島ピースフェスティバル

 

 

 

9.11歴史的意義を改める快挙

こんにちは。


デジカメがクラッシュしてお釈迦で写真が撮れません。

記録に残すより記憶に残すことにしよう、なんて気休めに思っています。


ですからこういった投稿は人様からラッキーにも写真をいただけてなおかつ時間を捻出できたならUPできる、とこういうわけです。


デジカメクラッシュしたのは言うまでもなく?カヤックがひっくり返って海に放り出されたからであります。カヤック初心者なもので^^;


まあそんなことを書いている暇はないので、本題に入ります。


9月11日宮島大聖院にて「消えずの火」採火セレモニーおよび境内にてピースフラッグセレモニー、そしてその後大聖院から宮島桟橋までピースパレード、そして夜はバックパッカーズ宮島にて2日連続ピースフェスティバルPRライブを敢行してまいりました。

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大聖院の吉田座主の寛大なるお計らいによってこれらのことが実現いたしました。

本当に一どこの馬の骨かわからない任意団体みたいなものの企画にここまでご協力いただけるという奇跡的な出来事、

本当に大感謝であります!!

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しかし、これも実際吉田座主が我々のピースフェスティバルの主旨に賛同していただけたからでありまして、ピースフェスティバルの重要な意義を改めて自覚しなければいけないと畏れ入る次第です。


宮島は世界遺産でもあるため本当にたくさんの外国人が来られています。

ピースフラッグセレモニーにもそこに居合わせた多くの外国人が興味を持って飛び入り参加してくださいました。ピースパレードにも幾人か参加して一緒に世界平和を唱えながら観光客でいっぱいの中を行進することができました。

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平和意識を神の島宮島の神聖なる場で呼び覚ますきっかけが創れたと思うと感無量であります。

 

ピースパレードでは大聖院衆徒代表の方がほら貝を吹きながら先頭を歩いてくださるという手厚い演出もいただけました。


廿日市市警察署の方々も警備のため同行してくださいましたが、制服では物々しくてピースにそぐわないだろうとわざわざ私服で来てくださるという気配りまでしてくださいました!

そして、すべて終了した別れ際には向こうから「来年もよろしくお願いします。」と!

「え?!来年?!」


なんとピースフェスティバルのパワー畏るべし!と実感した日でありました。

 

夜はバックパッカーズ宮島にて二日目のPRライブ。

WildフォトグラファーMojarくんがつなげてくれた井原のかや小屋バンドも参加!


そして、広島在住アフリカ民族楽器アサラト奏者のメンダーくんも参加!


コラボ演奏も実現!


No woman No cry mojunk


と盛りだくさんで相当に盛り上がって強烈に宣伝して、その夜「平和の灯火」と共に笠岡に帰還いたしました。

 

北木島ピースフェスティバルまであと3日!


天地人融合の業。深層的歴史的意義ある日々をかみしめて。

島の夏はめくるめく速い!

 

 

島の夏は忙しい。

 

スズメバチの巣を駆除して、

副産物の蜂の子食って、

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ピースフェスPRライブして、

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北木島ピースフェスティバル 2016 PRライブ


栄龍石材 北木島ピースフェスティバル 2016 PR Live

ピースアイランド号

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楠海水浴場の掃除をして、

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打ち上げして、

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翌日は踊りを踊って、

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またもビーチライブ。

あ・・・最後のビーチライブの写真がありませんが^^;

天野屋旅館に毎年来る新見短大の大学生達60名(ほぼ女子)が大浦ビーチでBBQ。

そこでライブをしてほしい、ということで急遽準備をして北木島唄っこ一座(トンさん、ぬくだまさん、KUNI)でやったわけであります。

これが意外にも結構盛り上がったりして、「くーにさ~ん!」なんつって黄色い声援が飛んだりして、なんとも「若いっていいなあ!」と冷静に微笑ましく思っている自分に気づいて、年寄りじみてるなあ、と思ったりするものの・・・

ビールがジュースのように感じる昨今はどうしたものか?!とも思ふ。

 

野人カメラマン塚本氏が撮ってくれた映像がありました!


北木島ピースフェスティバル 2016


北木島ピースフェスティバル2016 PR ライブ

 

そして一夜明けて今日は朝から草刈り。

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草刈りの仕事を仰せつかって、賃金がいただける!ので非常に助かる!

今やギリギリ状態になるとこういうお話が舞い込むというのが完全に自然の法則のようになってしまっているもので、ギリギリになっても全然心配していない、ということになってしまって、

しかしだからといって、こういう奇跡はやはりありがたいわけで、

当然が当たり前にならないよう「有難い」という言霊があるに相違ないということを体感させていただいたのが、やはりこの阿呆生活の賜物である。


そして、このお仕事を依頼してくださった方も、私が島に来て4年目にしてこれまではすれ違ってあいさつしても断然無視状態の愛想も何もないおっさんだったわけですが、その方がギリギリ状態の私に依頼してくださったのです!

もちろん、私は自分がギリギリだなんてことはほとんど人に申し上げておりませんですから、そのおじさんも知る由もないことであります。

ですからして、慈悲で仕事を与えてくださったわけではないはずですが、

やはり、慈悲であったと思えるのです。

草刈り中にひょこっと冷たいジュースを持って来てくれたり、

「あんまり無理せんとゆっくりやりゃええけえのー。」と何度も念を押すように言ってくださったり、

(は~、この方はやさしい方なんだー!)

だから、人は見かけによらぬもの、と非常に感じ入るわけであります。


そしてまた、これはよくあることですが、そうやって朝から草刈りをしておりますと、向かいの家で庭掃除をしているおばあさまが声を掛けてくださり、少し話をしてまたしばらく草刈りをしていますと、

程よい頃に先程のおばあさまが私をお呼びになり、

「まあ冷たいもんでも飲みねー。」

爽やかなスダチジュースをくださる。

とてもおいしい^^


これは畑仕事をしていても近くのおばさまが、

「まあ休憩しねえ。」

といって、お盆にお菓子とコーヒーを乗せて持って来てくださる、とか。


これは島ならでは・・・というか、おそらく古き良き日本の伝統が今だ残っているんだろうなあ、と思うわけです。

 

ところで、先程のスダチジュースをくださった庭掃除のおばあさまですが、年の頃は80歳過ぎくらいだが、朝庭掃除して、昼からも暑い中ほぼずーっと16:00過ぎ頃まで庭掃除をやっていました!凄い元気!

 


今だに都市一極集中のようなところがあるようですが、田舎の良さも若い人たちに見直されつつあるようです。

人間は何のために生きているのか?

それを無一物状態になった自分を想定して探求してみれば、自ずと答えが出てくるはずのものでありましょう。その答えが出てこないとすれば、それはもしかしたら自分の中に、虚飾、虚構が幅を利かせているということかもしれません。

お金も仕事も名誉も地位も、生命さえも、常にあるとは限らない。

「名の名とすべきは常の名にあらず・・・」

 

汗をかけばビールがうまい。またビールを飲む。

人生の選択権

畑の草取りに没頭していると、遠く聞こえてきたのは、


「本日は参議院議員選挙の投票日です。・・・・」


今のこの雰囲気とかけ離れているというか、とても遠い、遠くてどこかノスタルジックな響きさえ感じられるような、こちらが異次元なのかあちらが異次元なのか・・・


とにかく汗をタラタラと流しながらまた草取りに没頭する。

 

大浦という地区に4か所畑を借りている。

この地区はまだおばちゃんたちが結構畑をやっている。

みんなきれいに草を取り肥料をやって立派な野菜を作っている。

いわゆる慣行農法だが、有機により近く無農薬により近い低農薬の野菜という感じだ。

これがまた皆さん立派で美しくしかも美味しい野菜たちなので、

私もこの地区で借りた畑で作る場合は、おばちゃんたちが長年続けているやり方をリスペクトし見習って教えてもらいながら大体同じようにやっている。

よって、草取りは必須事業なんである!

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ササゲ、ゴマ、モチアワ、白ヒエ、エゴマ

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米(陸稲

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米(陸稲

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ゴマ、エゴマ、さつまいも、ヤーコン
この畑は秋葉山のふもと福厳寺(真言宗)の前にある。

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対して、ウチの畑は3年前からやっている通りの自然農法。

といっても僕の場合ほったらかしにより近い自然農法・・・だった。

だから1年目は何でも結構よくできたが、2年目3年目と台風やら忙しさにかまけてやる気なかったりとかで今一つ収穫が不振であった。


今年になって売れる野菜を作ったれ!というのがひとつ動機で、

畑を借りまくったりなんかして結構モチベーション高になったものだから、

ウチの畑もちゃんと世話する自然農法を心がけようとしている。

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さつもいも、黒とうもろこし、かぼちゃ・・・

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ササゲ、モロヘイヤ、つるむらさき、バジル、いちご、・・・


まあしかし、こんなにも畑があるとあっちが終わったらこっち、こっちが済んだと思ったらあっち・・・

と息つく暇もない感じである。

が、しかし、いいんである。

どうでもいいんである。

考えないんである。

私の3年の集大成をここ一番お目にかけようってなもんだす。


畑仕事は大地とそして空との間で営まれ、

「僕はこの島の天地で3年も生かされて来たんだ。」と実質的に思える。


あっという間に走り抜けたなあ。

過去なんてそんなもんだ。
今とこれからを生きよう。

宇宙で我は唯ひとり。