外浅海(そとあざみ)プレリュード

一昨日山脇氏と開墾地から更に上へと進んで行った場所は元果樹などの畑と思われる場所で眺望も非常に良さそうな山の上。

そこは私も初めて来た場所だと思っていたが、今日改めて行ってみるとそこは昨年5月頃ウチの上の家のKさん(年に数回帰ってこられる)に連れられて行った場所だった。

5月ごろの鬱蒼とした状態とはだいぶ違っていたので分からなかった。


その時Kさんに、「山の上の元畑だった所へ探検に行ってみよう!」と誘われて行った。

Kさんは約60年ぶりに行ったようで、全く鬱蒼と草木で覆われ変わり果てたその場所に唖然としていた。

Kさんは子供の頃に畑仕事の手伝いでその辺りによく行ったらしいが、とても見晴らしが良くていい場所だったと言う。


別の人から聞いた話だが、海も約50年前は本当にきれいだったらしい!それこそどこか外国の南の島のエメラルドグリーンのような透明度抜群の海だったと言う。

考えてみれば、そうだろう。工業地帯などがなければ海というのは美しいのが当たり前のはずだ!


僕は思った。山の上が畑できれいに整備され景色は抜群、下の海もは透き通るようなエメラルドグリーン!こんな島なら天国のようだろう!まさに桃源郷である!

しかし、そういう状態が50年以上前まではあったということである!

 

でもそれは北木島に限ったことではない。他の山でも海でもやはり50年以上前はとても美しかったと思う。

幕末から明治にかけて日本に滞在した外国人の旅行記などには、日本の国土の美しさと人のやさしさ親切さなどを体験して驚愕感動しているものが多い、というのもうなづける。

 

 

限界集落」という造語は最近できたものだろうが、この言葉こそ実は今後の文明の行方を示唆した隠語であると思える。

今までの貨幣経済優先社会では都市中心の経済活動に乗っかってこそ生きていけると思い込まされていた。

そういう社会の中にあっては確かに「限界」の「集落」なんである。

では、この貨幣経済優先社会という仕組みが変わればどうなんだ?

今や経済というのは何年も前からいろんなところで危機的状況が叫ばれている。

それが今までのやり方では立ち行けなくなってきたことを意味するのは感じ方の差はあれほとんどの人にわかる。

ただ、だからといってどうしたらいいものか分からず右往左往するか今までのやり方にしがみつく。

そんな中にあっては、確かに「限界集落」は限界だろう!

しかし、今までとは全く違うやり方行き方があるとそちらへ進めば、実は「限界」と思われたことが無限の可能性を持っているということにもなり得る!

 

要するに、「限界集落」と言う言葉は現代文明の限界や行き詰まりを明らかに認めたお手上げ状態から出てきた言葉。それは裏を返せば、そこから抜け出し変えなければ先は無い、ということでもあり、言い換えれば、「限界集落」こそ時代の変わり目、きっかけを創り出す突破口に成り得るんではないかと思えるのである!

それを匂わせる事例が今日本各所、世界各地で散見され始めている。

 

僕は今ここで開墾しながらこの場所にそういう無限の可能性をとても強く感じる。

そして今までの開墾は単なる序章に過ぎなかったとも感じる。


ここだけじゃない、日本の主に「限界集落」などと呼ばれている場所には同じように50年、100年以上前は人と自然の共生の場が出来ておりそこは美しい場所だったに違いない。


日本を開墾しよう。