なんでもない1日に1年がちりばめられ

本日は笠岡に買出し&所用に出ました。


昼食はいつものように笠岡駅手打ちうどん「かも福」さんへ!

13:00頃でしたが忙しそうで、店内にはどこかで見たことのあるサンダル公務員さんもいたりなんぞして^^

店に入る時にちょうどインド人の男性も1人入るところで、食券を買ってインド人の男性とはカウンターの端っこ同士で離れて座っており、
私はサンダル公務員氏と話をしておりました。

サンダル公務員氏が店を先に出てちょっとすると、かも福店主萬福さんが僕に、

「あの方お連れさんでしょ?」

とインド人の男性を見ておっしゃった。

「いや!違いますよ!全然知らない人です^^;」

やっぱり僕はインド人系なので友達に見られるんだろうな。


でも、そのインド人J君と友達になりまして、おいしいインド料理屋を教えてもらった!

しかもJ君いわくそこには僕の超大好きなマサラドーサがあるというではないか!

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で、家に帰ってネットで検索してみた!(信用してないわけじゃないんだが、場所の確認のためね^^;)

そしたら、どうもその店は2,3年まえに知り合いに連れてってもらったインド料理屋で、僕はその時はそんなにおいしいと思わなかった^^;(もっと美味しい店は岡山市内にある!)

お客はいっぱいだったけど!

しかもその時もちのろんでマサラドーサあるか?聞いたが、なかったんである!


まあインド人の言うことだからあまりあてにしちゃいけないんだけど^^;(ってそういうこと言っちゃいかん!)

もしかしたら今はマサラドーサをしっかり取り揃えておるのかもしれん!


まあ余裕ができる日はいつかわかりませんが、余裕が出来たら試しに行ってみよう。

 


この生活を始めて4月で1年になる。

まだ1年を振り返るのは早いが、今日ふと思った。

最初から行き詰ることが目に見えてたこの島暮らしは実際やりだしたら、やっぱり行き詰まること多々あり^^;

今なんかも経済面なんかまさに崖っぷちを綱渡り状態なんだが^^;

その度に(ケツまくったれ!)と本気では思わないものの否応なくそこに追い込まれるんではないか?!という不安は頭をよぎるものである。


そういう時に限って、いろんな人のちょっとした手助けとか何気ない訪問とか何気ない励ましの言葉だとかアイディアだとかが不思議と現れるのである!

だから今まで何度となくそういうことがあるので、

(あ~やっぱり俺はここでなんかやらなきゃならない天命みたいなものがあるのかなあ・・・)

と気を取り直してがんばってきたものである。

本日も数人の方と話をしてその会話の中からあるいはある方からは具体的GOODアイディアや智恵などをいただいて、

またもや一筋の光明が射し込んできたような気持ちになる。

神の言葉とか天の言葉と言うが、そんなものは僕には聞こえたことはないが、この約1年を振り返ると人こそが神である!とさえ思える。

いや、今まで我々人間の作り出し思い込んできた「神」という概念がいささか偏狭であったに違いない!と思えてくる。

夏目漱石の小説に、「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。」

というフレーズがあるが、人の世はすべての人に責任がある。

確かに今までの人間が作り出した概念の目に見えない「神」も存在するに決まっていると思うが、

今までの歴史の間違いは神と人間が全くかけ離れた存在であったり、まったく別物という感覚であって、そこから狂信や妄信が生まれて宗教といえばたいていの人が胡散臭さを感じると言う陳腐なものに成り果てているわけだろう。


そんな宗教はもういらない。そのうち消えてなくなるだろう。

人間すべてが神を自覚すれば事足りる。


島暮らしを始めてまだ1年足らずだが、体験として得た一番大きな収穫はこういう考え、感覚である、と今日改めて思った。

島のSARAIが今後どういう風に展開しようとも、僕はもうすでに凄い宝を獲得したように思える。

皆様に無限なる感謝です。

 

 

 


 

*1:数年前インドのマイソールという所で食べた屋台のマサラドーサ。絶品!!