SARAI夜話まとめ

最近「つながる」という言葉を非常によく耳にするようになったし、自分自身も使う頻度が劇的に多くなっている。

これは逆に言えば今まで世界のありとあらゆることが「分断」されていたということを意味する。

「分断」されていたものが分断されていたままではたちゆかなくなってきたので「つながり」始めたということだろう。

これは主観的に言えば、

自分と他人、自分と社会、自分と世界、自分と自然、自分と宇宙・・・

心と身体、霊と肉、大我と自我・・・

こういう「つながり」を意味する。

 

だが問題は、今まで分断化されその状態で凝り固まったものを再編成してつなげるためには、若干の、もしくは相当の「揺さぶり」や「衝撃」が必要になる場合が多々ある。それが言わずと知れた現在の混沌とした世界および社会情勢。

だから安穏としてむやみに現代の物質的安定だけに依存しているとこの世的には大変な目に遭うということにつながる。この場合の「つながる」はちょっと違う^^;

こういった小智の人間から見たら「不幸」に見える状態をなるべく緩和させ最小限に留めるためには、自ら早急に「気づく」ということが重要になってくる。というか最終的にはそれしか救いの道はないだろう。「自ら」というのは字義通り「一人一人が誰に言われるでもなく自主的に」ということである。

まあそうでなければ「気づく」とは言えないだろうし。

だから本当は要らぬおせっかいは無用ということにもなるが、人情というのもまた味があるので深入りしなければ美しい。

そこでまたこの「気づく」という言葉もまた最近実によく耳にする言葉であり、自分自身も近年よく使う言葉である。

では「気づく」ためにどうしたらよいか?

それが昨今巷で流行の「ヨガ」とか「デトックス」とか「瞑想」とか「旅」なんかもそうでしょう。

これらに共通のことは「自分自身を見つめる」ということであろう。

「旅」はちょっと違うが、「世界を見る」ことで「自分自身を見つめなおす」ということは自分自身の経験上多いにあることである。

ということで、何が結局言いたいかというとこれからの時代は「汝自身を知れ」というソクラテスの言葉がまさに至言となるわけで、「自分とは一体なんなんだ?」という問いかけは地球人類全員平等に与えられる「難問?」であり「公案」であるだろう。「禅」などもとどのつまり「汝自身を知る」ことにいのちがけで取り組んだものだろう。

そして「汝自身を知る」ことが所謂「天の岩戸開き」ということになり神話が成就するとこういったことになる。よってこういったことが本来の「宗教」であるからして現代の「宗教」は本来の「宗教」とは似て非なるものに成り下がっているわけである。気をつけましょう。

 

そして今この大筋は私の知る範囲で劇的にどんどん実現実行されている。

だから私は楽しい。

そして島のSARAIは必ずやインターナショナルになります。

 

以上が先夜大学生2人と夜な夜な語った要旨に私が(かなり)脚色してまとめたものである。