キセキ
3.11追悼イベントライブは無事に終わった。
期待していた3.11にのどの調子が良くなる!というのは、
最後の曲の本当に最後の方で少し出がよくなったくらいで、あとはろくでもなかったが助っ人の宝亀さんに歌っていただき、頃末さんのキーボード参加もあったりで、
なんだかんだいって盛り上がったでしょう。ということにしてください。
3.11は僕の島暮らし理念の根底になる重要な出来事のひとつでもある。
あの震災があったからこそこのようなギリギリ綱渡りをやる気になりやってもいられるわけだ。
簡単に言えば、「モノやお金じゃないんだ、人生は。」ってこと。
そしてさらに何事も身を持って体験せねば何もしないのと変わらないってことである。
が、落選した。
ちょうど3.11追悼ライブをしている最中に連絡があった。
意外に落胆はなかった。
わけの分かる人に理解してもらえればいい、という思想なものだから、
落選だなどと思わない。ただ、理解されなかったんだなあ、俺は俺の道を行くさ、と強がるだけである
。
しかし強がるのも体力がいる。
実際はここ最近また考え出した「島をいったん出て出稼ぎをする」ということが、
僕の中で急速に現実味を帯びてくるということになったわけである。
それについて今日友人と話したりしているうちに、
本気で考え始め、しまいには
(めんどくせえからもう島を引き払ってしまおう!)
と考えるに至った。
もちろん島の音楽祭が終わってからである。
そして今日午後島に帰り、どのように後始末などするかなあ、などと考えつつ、
友人から「ライブとかでやるカバー曲にGreeenの曲を入れたらウケるで。」
と言われたことをふと思い出し、
(まあ後始末のことは後にして、Greeenとやらを一応見てみるか。)
ってことで、PCを開きYoutubeでGreeenの「キセキ」って曲を見ていた。
すると外で、「おーい!」と島のNさんの声。
外に出ると、Nさんの後ろから年配のご夫婦が付いてきていらっしゃる。
ご主人の方は恰幅のいい白髪で薄くヒゲをはやした明るい感じの方。
いろいろ話して、僕がやっていることや島の音楽祭のことなど話すと、
興味を示してくださり、名刺などいただくと、牛島さんという石川県の方でMBA(米国経営学修士)を持っていらっしゃりその上PH.D.,B.A.(米国経営学博士)も持っていらっしゃる経営コンサルタントだという。
2年前に初めて北木島に来て気に入ってその時もNさんに島を案内され、また今回再訪されNさんに会ってNさんがウチに連れて来られたわけである。
牛島さん凄い方である。50歳からアメリカの大学に入って働きながら勉強して10年かかってMBA取得し、その後大学院で6年勉強して主席でPH.D.,BAを授与されたというから驚愕である!
しかもMBAを取ろうと思った動機が凄い!
「アメリカ人をとにかく負かしてやりたかった!」
のがそもそもの動機だという!
牛島さんは8歳のときに終戦を向かえ、終戦の日地元でも有名だった剣道家の父親が泣き崩れたのを見て(あの原爆を2発も落とし日本のありとあらゆるところを焼け野原にしたアメリカをやっつけてやろう!)と決心したという。
大学に入り就職するときに(アメリカ人を負かすには米国の企業に入らなければ!)と考え、アメリカでも有名な製薬会社に入った。
しかし、自分より年下のアメリカ人に使われるようなこともあったりして闘志に火をつけられ、
やはり(アメリカ人を逆にアゴで使うくらいにならなければ!)とMBA取得にすべてを賭けて動き出した。それが50歳の時だという!今ではたいていのアメリカ人が一目置くようになったという!
その牛島さんに今僕が島を引き払おうと本気で考えていることを告げると、
「こんなに面白いことすばらしいことをしているのにもったいない!できるならがんばってもらいたい!」
「人間死ぬ気になれば何でもできるしどんなことでも成就する。無理は言わないが、まずは自分が本当に好きなことやりたいことを改めて洗い出してそれを本気でやるということをあなたにはやってもらいたい!」
「そして私は能管というお能で吹く横笛をやっているんだが、それを来年7月の北木島大浦の諏訪神社のお祭りに来て披露しようと思っている。そのときにぜひあなたに迎えてもらいたい!」
と激励のお言葉を頂戴した。
Nさんも「凄い出会いやなあ~!」と喜ぶし、
私も
(ああ、またもや期せずして例によって本気で島暮らしをやめようと考えてるときにこういうことが起きるんだなあ!また引き止められてるよねえ^^;嘘みてえだけどなんなんだろうなこれは!)
ってなもんで泣きそうに嬉しいような、かといって現実問題現実の問題を解決するにはいかなる手段があるっていうの?!的狼狽感を感じてみたり^^;
しかし、とにかく牛島氏はえらく僕のやっていることに興味を示してくださりとにかくできるなら続けてもらいたい!という僕の胸にビンビン響いてくる何かを発していらっしゃったので、嫌でも(嫌でもは要らないですね)「わかりました!来年夏一緒にお祭りでコラボしましょー!」なんてコメントを発してしまうって始末である!
そしてついでにウチで島Meetingというのをやっていることを話すと、
「来年来たときにそういう人たちを集めてください。お話しますよ!」
なんてことまでおっしゃってくださった!
僕はいったいなんなんだろう?
北木島にいったいどういうご縁があってこのように引き止められるのだろう?
そして、僕が本当に好きなことやりたいことというのは?
確かなことは、僕の島暮らしの2年間はとても美しく素晴らしく僕が思い描き望んでいた生活だった。
経済的困窮などというものは最初から実は問題にはしていなかった節もある。
だいたい最初から資金なんてものもたいしてなかったんだから。
むしろそういう状態に一度自分を追い込むことによって現代社会の足かせになっているお金との関係を正常な関係にして最先端モデルに自らを仕立て上げたかった。
そういう意味ではまさに今その真っ最中でそれを成し遂げる前段階のところにいるわけで、ここで翻って引き払っていわゆる今の社会での正攻法に戻るなら今までの苦労はすべて水の泡となるとも限らないわけである。
正直自分の中でもやりきった感はまだない。
ものすごく端的に言うと、僕がそもそも体験したくて証明したいのは、
「奇跡」なんである。
この世の物理的常識的な方程式や手法をすっ飛ばして気力と運で現実化してゆくというのか。
普通一般的に見たら、「馬鹿なこと」であり「甘い考え」である。
しかしもうすでにこの島暮らし2年間は奇跡によって成り立ってきたと言っても過言ではない。
そして今日また例のごとく奇跡的出会いが生じた。
「キセキ」を聴いている時にそれはやってきた。
タイミングよ過ぎるよねえ。
そうだ!島暮らし2年間で最も身をもって体感したことは、
「目に見えないものの存在」である。
それは一般的に「神」と呼ばれたり「守護霊」「守護神」と呼ばれたりする存在だと思う。
そしてさらに体感しようとしていることは
まさに自分自身の中にこそその「神」や「守護霊」「守護神」というものが存在するのだということである。
それが「キセキ」のメカニズムであるという体験。
これは何億払ったって得られるものじゃない。
もうひとつつい最近知った人物でウルグアイ元大統領ホセ・ムヒカという方がいる。
詳しいことは書かないので知らない方は自分で調べて下さい。
この方の考え方と行動に感服した!
この人のことを知ったのもちょうど今の僕にとっては凄く感慨深い出会いである。
引き寄せあうものが引き寄せあいつながって結びついて世界と奇跡が創造される。