島墾隊(とうこんたい)
3月23日にヨッシー吉川くんと島墾隊を結成。
一昨日、島墾隊(私とヨッシー吉川くん)で、バックリ山(225m)へ島墾隊2回目の踏査に行った。
目的は、4月9日(日)に一般参加募集して催行する第1回バックリ登山道整備&お花見トレッキングのために事前に、ある程度道と山頂を開墾しておくことだ。
チェーンソーとノコギリ(Silky Gunfighterがベストである!)を持って、8:00から登り始め、13:00頃下山。首尾は上々。予想以上の成果を収め、さらにバックリ山および北木島の魅力と可能性に触れたわけである。
山頂付近には山桜の木が「群生」までいかなくともかなり点在して生えている。
他の木や竹をきれいに伐って育ちやすい環境を作ってやればまだまだ自然繁殖していくであろう。
そうなれば、瀬戸の多島美も一望できる桜の名所になるはずである。
島墾隊はそこを目指して進みたい!
バックリ山頂 ビフォー1
バックリ山頂 アフター1
ビフォー2
アフター2
そしてまたその後、バックリ山についての新たな情報を思いも寄らぬ形で入手した。
昨日、畑仕事をしていると、乳母車を押しながら高齢のおばあちゃんが通りがかり、
「おー、ようがんばっとるなあ!・・・私ら若いころは山の上の方まで畑があってなあ、
モッコ担いで行きよったもんじゃ。バックリの上の方まであってな・・・バックリ山のてっぺんには戦時中は見張りによう上がりよったもんじゃ。」
と、聞きもしないのに滔々としゃべりだしたのである!
「バックリ山」が出てきたので、うお~?!と僕も喰いついて、
「頂上に見張り台があったんですか?!」
「おーそうよ、防空壕を掘ってな、その上に屋根のようなもんをこさえて、そこから出ては飛行機を見張って、電話で連絡しよったんじゃ。飛行機の識別の勉強をしたもんじゃ。男衆はみな出ていっとるけえ、女の私らがそういうことをせにゃならんかったんよ!」
「おお!それは大変だったでしょう!その見張りの防空壕はまだ残ってますかね?!」
「!んなもん!草が生えとって分かるもんかあ!!」
おばあちゃんは93歳だそうで、乳母車がないと歩けない状態ながら、家でじっとしていてもしょうがないので、健康のために乳母車を押して、
10年前に亡くなったというご主人のお墓参りに福厳寺まで歩いていくそうだ。
バックリ山の山頂に戦時中見張り台があったというのはいろんな人から聞き知っていたが、ここまで具体的な当時の様子をしかも実体験者に聞けたのは、
なんとこのタイミングで奇遇というか必然というか!
昔のバックリ山頂は360度景色が展望できたらしい。そして平らで結構広い。
これでまたバックリ山を開墾する楽しみが増えたわけである^^
もしかしたらその見張りのための防空壕の跡が発見できるかもしれない。これはひとつの史跡である。
おばあちゃんは最後に、
「あんたがここで畑をしょーるのを見たらな、私やいつも感謝するんで!ありがとうございます。」
と言って、寺の方へゆっくりと乳母車を頼りに歩いて行った。
涙が出そうなくらい嬉しかった。そして、まだまだがんばるぞー!というやる気もあふれてきた。
「人が育つ」「人を育てる」というのはこういうことかもしれない、とも思った。
進め!島墾隊!