交響曲「田園」

昨日、一昨日と笠岡に出てFR氏(藤川良一氏)の田んぼの手伝いをした。

晴れ男だから台風の心配もなく、しかし昨日島に帰るはずがフェリー運休により帰れず今朝一番で島に帰った。

相変わらずの岡山の災害の縁遠さに改めて感心させられ、

コメ作りに対する農耕民族の誇りとでも言うようなものを終始味わわさせていただいた。

FR氏が交通費を出してくれる、というので安心して手伝いに出て行ったというのもあるが、

木村式自然栽培の橋頭堡を築くの志で鍬を振り下ろしていると実に生きがいを感じるものである。

この一鍬が食料自給率を上げ、天照大神の末裔たるにふさわしい労働をしておるという漲る満足感。

そして出来上がるアートな畦。

Op.709 および Op.710 といった調子の田園的旋律が流れてきそうな人と自然の営みを表現した作品。

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こういったものこそアートではないか?!と先人の積み重ね伝えてきた歴史というバックボーンに肉付けされた己の作品にご満悦。

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ふと耳に付く妙に悲しげなカエルの声。

今まで聞こえていた鳴き声とは明らかに違うその悲しげな声の主を水の張った田んぼに求めると、

一匹のカエルがもう一匹のカエルを追う、追われたカエルは別のカエルの上に乗って他所へと逃げてゆく。

悲しげな声で鳴いていたのはこの、おそらくメスに逃げられたのであろうオスカエルのようだ。

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こんな田んぼの中のドラマや何種類もの生き物の織りなす多様性の世界に新鮮な驚きを覚える。


若者よコメを作ろう!


そして昨日田植え準備に必要な畦塗りと代掻きのほぼすべてを終え、夕方スーパーへ買出しに行く途中、西の空の雲間から燦然と輝く夕日は夕焼け色ではなく黄金であった。

それは大いなる祝福であった。

 

今日夕方ウチに仙女Kさんがやってきて、

「流されんかったか~?!」と叫ぶので、台風のことだと思い、

「そんなに雨降らなかったみたいですね。僕は昨日一昨日笠岡に出てたのでココの状況は分からないですけど。」

「仕込んで来たん?」

「は???、いやあ、友達の田んぼの手伝いをしに行ってたんですよ。」

「忙しいの~。・・・そりゃそうとあんた今度祭りのとき神輿でも担ぎねえ!」

「あ、今度の日曜ですよね?その日僕また出かけて島にいないんですよ。今週もだし・・・」

「はぁ~、ほんま忙しいなあ・・・デート?」と猫なで声で問う仙女!

「え?!そんな彼女なんかいないし!」

「またよう言うわ!あんたみたいなイケメンをほっとくもんがおるかあ!」

と、なにやら雄叫びを上げるように吼えるので、

「いやいやあ・・・」とただなんとはなしに照れたようにふるまったが・・・


イケメンって?!そんなことを言われたことのない僕は舞い上がる・・・というか、そのイケメンの意味について少し考えてしまった!

なにしろイケメンとか言われたことがないし、自分でもそのように思ってないどころか、イケメンとかどうでもええと思っておるために

何故その私がイケメンとなるのか?!


これは私的解釈によりますと、仙女Kさんのようにかれこれ人生80年近く生きてまいりますとあらゆる経験とあらゆる人間を目の当たりに見聞した経験が満載であるわけでして、

その目で見た「イケメン」というのは所謂一般的世俗的に言うところの容姿がカッコイイという意味の「イケメン」ではなく、

総合的に1人の人間、男として見た「イケメン」なんではないだろうか?!

という結論に達し、(うーむそれならばうなづける!)

とまたも能天気に軽はずむ私のイケメンな童心であるのでした。


そして、そんなことを考えているうち仙女Kさんが会話の中、「仕込んで来たん?」と問いかけたその言葉の意味までが判然として思わず噴出してしまったのである!

「仕込んで来た」って、その「仕込む」かい?!みたいな^^;

歳を重ねた人の会話はなかなかオツなもんである。