陶然

中国は南宋の時代、陸象山という儒学者がおりました。

13歳の時に「宇宙内の事はすなわち己が分内の事、己が分内の事はすなわち宇宙内の事なり」と書き残したと伝わる偉人であります。素晴らしく面白い方であります。

彼が説いた「心即理」は約300年後に王陽明という人に受け継がれ「陽明学」となり、

幕末の志士たちの精神の支柱となりました。

 

「面白きこともなき世に面白く 住みなすものは 心なりけり」

幕末の志士で倒幕回天の先陣を切る偉業をなし27歳という若さで昇天した高杉晋作先生の詩。

 

心こそがもっとも大事であり、

陽明学」も「禅」も「神道」も「キリスト教」も「イスラム教」も「武士道」も・・・

真髄はすべてひとつであるので、

この地球上から「--教」とか「--道」とかいうものは一度なくなってしまえばいいと思います。

リセットですね。

何を信じているのだろう?権力?お金?名誉?知識?人?・・・

形式的に信ずるものがなくなったそうした状態でせっぱつまった土壇場の状況においつめられたなら

自己の内にある根源的生命から沸き出づる叡智や力にたよらざるを得ないということになります。

 

これが言わば、

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

ということであるわけでありまして、

それは古今東西の聖賢等しく言葉は違えど仰っていることであります。

 

・・・すいません、なんかお酒をいただいてしこたま飲んで酔っ払っているのかもしれないです。

なぜかラッパ飲みしていたりする。

しかも独りで。