私の心象風景Part2 および 1年ぶりの「クニちゃんの遺言Part3」か。

人間死ぬ直前には自分の人生が走馬灯のように脳裏に蘇ると聞きます。

 

「私の心象風景Part1」でも書きましたが、

僕は普段ほとんど過去のことをじっくり思い返したりしない質なんでありますけども、

どうもここ最近過去のことを思い出さざるを得ないきっかけを与えられるといいますか・・・

(こ、これはもしや死が間近に迫っているのか?!)

なんてえことを思うにつけ、

 

そういえば、先日あまり夢を見ない私が、こんな夢を見ました。

「ある島に(真鍋島っぽかった)信仰の厚い父子がいて、

彼らが言いました。

『死ぬなんてことはありません。

いつも死んでいるようなもんだからこうやって息も吸えるし飯も食える。

だから死ぬなんてことはありません。』

と。」

目が覚めて、実にいい夢を見たものだ、我ながら!とほくそえんだものです。

 

そういえば、それからですね、過去のことを思い出さざるを得ない状況に自然になる、ということになったのは。

 

たまたま何かの拍子でちょうど1年前の自分のブログ記事を読んで他人事のように感銘を受けてみたり、

藤原のヨリちゃんが北海道に移住すると聞けば、驚きと共に自分の北海道時代のことも自然思い出す・・・

断捨離隊のお2人が来て我が「島のSARAI」の庭を片付ければ、やはりこの3年間のここでの生活が脳裏に自然に蘇る。

 

極め付けは、FBでネパールの友達からの突然のコンタクト!

もうかれこれ12年ぶりです!

バックパック放浪でネパールに流れ着いてそこで知り合って家に遊びに行って家族とも仲良くなって・・・あれから12年まったくノーコンタクトだったわけであります!

それがつい2週間ほど前にFBでつながるやいなや、いきなり国際電話までかけてきて、

(マジかよ!)

と驚き、

「お金かかるからやめたほうがいい。」

と言えば、

「いや、大丈夫!」

って、

「金持ちかい?!」

「うん、まあまあ」

「ほ~!・・・しかし、やっぱこっちが気になるからやめたほうがいい。」

「それならSkypeはやってる?」

「そんなものはやってない!」

Skypeならただだよ!」

「ふーん・・・じゃあちょっとやってみっぺか。」

 

ってなわけで、今やバリバリのスカイパーになっちゃってるわけです^^;

この何もない島北木島のさらに人けのない奥地で、

お釈迦さまの生誕地ネパールとTV電話で国際交流とは、

お釈迦さまでも気が付くまい。

 

そしてやはり12年前のあの壮大なシルクロードの旅も自然思い返される。

 

上海から陸路で電車、バス乗り継ぎいわゆるシルクロード上の各地を見聞しながら、

中国一番西のウイグル自治区に入り、

さらにそこから公共交通機関も舗装路もない標高4,000~5,000mの高山の中を

ヒッチハイクしたトラックやら中国軍のジープやらでチベットにはいる。

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外国人入域許可証を取得した上で入らなければならないチベットに無断で

入るわけだから密入国である。

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チベット首都ラサ行き長距離バスが出ている途中の町から

寝台長距離バスで確か3日間だったか高山の中を走り続け、

途中夜中吹雪の中ぬかるみにスタックして、

乗員乗客総動員でロープでバスを引っ張り出す。

「イー、アー、サーン!」

ロープがぶちきれみんな冷たいぬかるみに尻餅をつく。

くそ寒いのに笑いあって仲間意識が芽生えちゃったりなんかする。

 

パンクなんて当たり前。

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そうやってようやくラサにつき、まったり。

 

そろそろネパールへ行こうかと出国手続きを始めれば、

「出国不可!」

 

当時中国全域でSARSが流行り、隣国ネパールで中国からの入国拒否となっていた。

ほとぼり冷めるまでさらにラサに(ややこしいけど)ビザ延長して滞在。

 

ようやくネパール受け入れとなり、ランドクルーザーチャーターしてラサからネパールへ。

 

これまた未舗装ノーガードレールの山道を2日かけて走りまくる。

エベレストのふもとを走り数百mもあろうかという崖っぷちを

かなりのスピードで時にドリフトしながら走られると、

寿命が縮むとはまさにこのことである。

 

無事ネパール入国。

 

国境の町からおんぼろバスで首都カトマンズ目指す。

これまた未舗装ノーガードレールの山道を時折壊れた座席ごと激しくジャンプしながら走る。

途中山羊やら鶏やらを連れた現地人たちも乗ってくる。

くさい。

 

車やバイクがさかんに行きかい人も行きかう。

首都カトマンズだ。

ここにはおいしい日本食レストランが数軒ある、という旅人間の情報で、

一か月以上の間辛くて油っこくておまけに味の素満載の中国料理で舌がしびれていたころだったので、

カトマンズはまさに天国、ガンダーラであった!

 

そのカトマンズの美しいヒマラヤの景色が見える郊外の辺鄙なゲストハウスで知り合った当時14歳の子供が12年後に遠い日本のひとりの旅人を覚えていてくれて

コンタクトを取ってきてくれるとは!

 

しかも聞けば、FBを始めたのは5,6年前でその時から僕を探していたらしいが、

僕は名前を「Kuni Yamamoto」で登録しているため、

「Kunihiko Yamamoto」でいくら探しても僕らしき人物に行き当たらなかったという!

しかもそういえば僕がFB始めたのは島暮らしと同時期の約3年前だったし!

 

一時期は、しょうがないから何かの手掛かりにでもなるだろうと、

別人の「ヤマモトクニヒコ」とFB友達になったりしてたらしい^^;

 

いやあなんとも感動的ありがたい話じゃないですか!

 

彼女の実家はバラトプルというネパールの南の方に位置する都市で、

カトマンズには親戚がいるので遊びに来ていたということで、

バラトプルの実家にも遊びに行き2泊くらいさせてもらいご家族とも親しくなった。

まあみんなフレンドリーなんですわ^^

 

そしてバラトプルからさらにインド国境に少し行ったところにルンビニというお釈迦さま生誕の地へも参りました。

 

そしてこれを書いてて初めて気づいたのが、

彼女の名字が「Gautam」、お釈迦さまのご本名が「Gotama Siddhattha」

ってことで、なんらかのつながりがあるんではないか?!

とまあふと思ったりします^^

 

この12年前のシルクロードの旅は昔から行きたかったわけで、

三蔵法師西遊記のロマンを求めて行ったものです。

 

そして、ネパールを離れインドへ、

この後もいろんなドラマがありましたが、

2か月くらい滞在したインドのバラナシで日本を出て初めて日本の実家に電話してみたら、

母親がガンで入院した、と、余命3か月・・・

 

即効帰国し、約1か月の間母のそばにいました。

常に僕をガミガミ凄い剣幕で叱ってくれていた母が、病床で僕に言ったのが、

「もうあんた好きなように生きねえ。」

(このあたりのことは去年のブログに書いてあります。)

KUNIちゃんの遺言 Part1 - sarai-kitagiislandの日記

 

 

こんなことを書いている真っ最中にまたも過去と直面するシンクロ勃発!

今度はさらに前の15年前!

FB友達のあきちんこが本日先程FBのコメントに、

「家を片付けてたら15年前のこんなメモが出てきました。」

この僕が15年前に書いたメモです。

内容は、

「自由とは何ぞや!バーン

ハイ、考えさせられますね。

とにかく人生サバイバルじゃ

私のように屁理屈ばかりじゃいかんよ。実行あるのみ。

経験は知識に勝る。

ボク気をつけます。(原文ママ)」

 

この12月に入ってからの過去との遭遇はなんとも凄まじい。

こんなことはいまだかつてないです。

これはなにかあるな・・・