クニちゃんの遺言PART2
ブツを仕込んで ギター背負って あの島へ
約2週間前とほぼ同じ大量のピザとパン2日がかりで焼き上げ、
前回ほどではないがまたもかなりの達成感を味わい、
ただ感謝!
自力と他力の相互作用でまたも生命拾いした感!
綱渡りにも随分慣れては来たが未だ不透明で透明なテグスの上。
そしてあちらの島へ渡ろうと、船の待合室にいると、
1人のご婦人が入ってきて唐突に僕に、
「あの遺言のPart2はないん?」
って問いかけるではないか!?
僕のブログを見てくれているご婦人で、以前書いた「クニちゃんの遺言Part1」の事を
言っているんだ、と気づいた僕は若干照れくさくて^^;
(世間は狭い、ネットの世界はもっと狭い!下手なことは書けんな!)
とお茶を濁してしまったが、
いいように解釈すれば、僕のブログファンの期待に応えなきゃな!
なんて脳天気に翻る始末である。
しかし、遺言と言っても今読み返すと、
何書いてんだろ?!って思ってしまうような書くに任せて書いてるので、
適当です。そのうちそういう気分になればPart2もあるでしょう。
それにしても、ピザ20枚を焼くということはこの中に人生が凝縮されているかのように
「おいおい!今日はどうしたんだー!?なんかおかしいぞ〜!」
と独り問いかけてみたり、
「お〜!こりゃ最高の焼き上がりじゃ〜!素晴らしい〜!」
と独り吠えてみたり、
最後には
「よーし!ラストだラストー!しまっていこ〜!」
とやっぱり体育会系になっていて、「しまっていこ〜」かなんか言ってたりする自分に気づく。
そして石窯で焼くということのファジー感というのは、
現代社会ではあまり味わえないスリリングさというか運任せと腕次第の微妙なさじ加減により創りだされるアート感満載な作業であるということを改めて感じる。
ホイロもない温度管理の不便な環境での発酵もなかなか大変な作業となる。
それらをクリアして創りだされた物はまさに手作り!
ファジーな手作りだけに機械が作る型にはまったかしこまった物とは
味わいが全く違う!
そういうものを求めてる人は今多いでしょう。
こんなことを考えているうち、
そういえば、元々いい加減な私がこの島暮らしによって、
さらにいい加減になっているんではないか!?と気づいた。
「いい加減」とは良くも悪くも解せる。「いいかげん」とも「良い加減」とも。
白黒はっきりつけないと気が済まないのは西洋人に多い傾向で、
曖昧にしてうっちゃっておいて長い目で見るという万事塞翁が馬的なのが東洋特に日本人に多いと言われることだが、
最近は日本も西欧化されて随分なるので白黒はっきりつけたがる人が増えている気もする。
「あそび」がないといつも急ハンドルで気が休まる暇がないだろう。
島時間には一般社会とは違う緩やかな流れを感じる。つまり「あそび」のある時間である。
まさにファジーなんだな。
同時に、言葉や文字で解釈しなきゃ、あるいはできなきゃ気が済まないというのもこれはまた西欧化の影響かもしれない。
禅は日本で最高度に洗練されたというが、禅の精神に「以心伝心」というのがある。
同じ言葉に「教外別伝」「不立文字」「直指人心」というのがある。
みんな僕の好きな言葉だ。
すべて早い話が、文字や言葉で理解しようとするんではなく「感じろ」ということである。
「ファジー」と「感じる」生き方は島暮らしとか田舎暮らしには大いにある。
やはり島暮らしは僕に合っているとも言えるし、
さらに一般現実社会から僕を遠離させている、とも言える。
極端かもしれないが天秤の先の方に乗る人が1人でも増えないと、
世界のバランスは崩れちゃうよ、と独り言ちて納得させようとする自分がいた。
(ちなみに「法芒庵」とはそれと似た意味を込めて創った名前である)
奇しくも結果、僕の中の「遺言」系になったからPart2にしたいと思います。