島ぐらっし~PART2
「今を生きる」ということが身についてくると、
過去に執らわれるということや未来に対する余計な心配が少なくなります。
先日ある方に、
「ロビンソンクルーソーを読むといいよ。へたな哲学書や自己啓発本を読むよりずっとためになる。」
と聞いたので、読んだ記憶が無い僕は(ぜひ読んでみたい!)とは思ったもののそんな余裕もないので、ネットでいろいろあらすじとかを調べてみた。
ロビンソンクルーソーはどうも結局無信仰だったのが28年間の無人島生活を生き抜いたことによって、信心深い信仰者になったというのがオチのようである。ここではキリスト教である。
僕は自分をロビンソンクルーソーに比そうなどと畏れ多いことは思わない。ロビンソンクルーソーの何千分の一の経験もしてないだろう。しかし、ロビンソンクルーソーの気持ちは世間一般の人よりも何倍か何十倍かは分かるかもしれない。
無人島でロビンソンクルーソーのように生き抜くには、何はともあれ精神力が最も重要なわけでそれさえあればいろんな事態に対処する智恵も湧き出るってもんだろうと思います。
その精神力の根本要素のひとつが「今を生きる」ことだと思う。
過去に執らわれないのもそうだが、未来に対してもあまり悲観的になったりして執らわれないということが非常に重要なことであると思う。そういうことに執らわれたら最後なんの発想力もなくなり何も手につかず自暴自棄になってあの世へ旅立つより他なくなるだろう。とにかく「自力で生きる」より仕方がないので、迷ったり立ち止まれば即「死」が待っているということになる。よって生きたいならば「今を生きる」より他に手はないわけである。待ったなし、「生きる」とは本当はそういうことだろうと思う。
もうひとつ精神力に必要な重要な要素を挙げるなら、やはり神の存在だろう。ロビンソンクルーソーはキリスト教だったがこれは便宜上当時の西欧で主流だったキリスト教があてがわれたところもあると思うが、要するに既存の宗教のような長い時間をかけて低次元解釈で歪められた「宗教」の皮をかぶった「肉欲」ではなく、真に自分と向き合って内面を掘り進んで虚栄も虚飾も欲望も通り越した所にある天地創造の根源力につながるという体験。それを神との一体感と感じうる原始宗教的な救いの体得。
これが精神力の根本要素となれば鬼に金棒、天下無敵、天上天下唯我独尊である。
しかし、果たしてこの便利な現代社会にあってロビンソンクルーソー的生き方は参考になるんであろうか?
僕はロビンソンクルーソーにもなれないしロビンソンクルーソーの何千分の一の経験もしてない。
しかし、世間一般の人よりはロビンソンクルーソーに近い生き方をほんの少し体験したと思える。
そのうえで感じることは、現代こそロビンソンクルーソー的生き方が大いに参考になると思える。
大震災を経験した方も多かれ少なかれ同じように感じられるのではないかと思う。
生ぬるい安寧やその場しのぎの安全策は脆い。
生きることは厳しい。厳しい中にこそキラリと光る叡智や心温まる愛や人とつながる喜びが強く感じられるような気がする。
ロビンソンクルーソーもきっとそこから真実を見出したに違いない。